天徳院の歴史

 元和九年(1623年)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。
 寛永元年(1624年)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。
 寛文十一年(1671年)珠姫(天徳院殿)の遺骨は天徳院境域より野田山に改葬された。
 元禄六年(1693年)五代藩主綱紀公は四代藩主光高公五〇回忌供養のために、親交の深かった明(中国)の僧、黄檗宗五代管長高泉和尚に委嘱して着工から10年の歳月を要して天徳院の全堂宇をすべて明朝式に造営建築した。
 しかし、明和五年(1768年)二月に山門、総門、御霊堂、宝蔵などを残して本堂、庫裡その他多くの講堂を焼失した。現在は山門を残すのみである。
 明和六年(1769年)十二月には、一〇代藩主重教公がわずか70日間の突貫工事で本堂、庫裡などを再建した。

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